LADE “Fisherman Beanie” 終了のお知らせとお礼とお詫び
LADE “Fisherman Beanie” 終了のお知らせとお礼とお詫び
あの震災から6年という月日が流れました。振り返りながら書かせていただきます。
当時山形県に住んでいたLADEの友人たちが道路が寸断され孤立する被災地を見かね東西の道路は生きていたことから東に位置する南三陸町を中心に震災直後から素早くピンポイントに被災地の支援を開始した”おたがいさまプロジェクト”にLADEでも協力を始めました。多くのLADEユーザーの方や友人たち、LADE STOREのお客さんたち多くの方が快く義援金を出してくれたことは今も記憶に鮮明で深く感謝しております。
おたがいさまプロジェクトが被災地へ物資を届けたり、炊き出しを行ったりを繰り返すうちに、仮設住宅が建ち多くの人がそこで暮らしを始めることになりました。被災した人たちのニーズも震災から時間が経ち、仮にでも住む場所ができたことで大きく変わっていっていました。すでに何回もの炊き出しなどで現地と人間関係ができていた同じ東北人のおたがいさまプロジェクトは今後どのような支援が必要かを仮設住宅の人たちに伺い聞き取っていくと、それは漁に変わる何か仕事だということでした。
それを受けてLADEでスタートしたのが漁師町南三陸町でハンドニットする“Fisherman Beanie” でした。当時、まだおたがいさまプロジェクトには円滑な義援金の蓄えがあり、そこからFishermanブランドを開始する諸々のスタート資金を出してもらうことでスピーディーに作り手さんが見つかり、練習を繰り返し、商品として販売を開始することができました。
いつか底をつくであろう義援金の貯蓄と長引くであろう仮設住宅でのみんなの暮らしを考えると今後も長い支援のためには自らの中で回っていくお金の流れを作り出し仕事にすることが必要です。そのためにも被災地で生産しているから買ってほしいという一過性の支援ではなく、FishermanがLADEの中の一つのブランドとして確率しクオリティとコンセプト、デザインで選んで買ってもらえることが必要だと考えていました。そこで支援を歌うことは極力避け『南三陸町産』『家内製手工業』をブランドコンセプトにハイクオリティのLADEビーニーの中の一つのブランドとして展開してきました。
まずは数年にわたってFisherman Beanieを買っていただき、愛用していただいている皆さんに心からお礼を申し上げます。初めの1、2年は特にLADEディーラーさんにも多くの協力を頂きました。中でも覚えているのは、商品としてやっと販売ができるクオリティのものができついに販売を開始した始めの一個をすぐさま買ってくれたのがGREEN.LABの齊藤 哲でした。話を聞いた途端当たり前のように買ってくれたのが印象的でした。The Fighting Farmersのとしてステージに立つ(座ってるけど)際には今も彼のベースにはFishermanのいかりのアイコンステッカーが貼ってあります。本当にありがとう。
ここでFisherman Beanieを終了することは、まず昨年末にようやっとFishermanの製作者をしてもらっている全ての人が自宅を再建して
仮設住宅の生活を終えられたということにあります。だんだんと漁の仕事が再開し仮設住宅で編み物をする必要がなくなってきたのは非常に嬉しい時の流れでしたが、最終的にようやっとFishemanに関わった皆さんが仮設住宅を出られたということは一つ節目となり今期いっぱいでの終了とすることにしました。
理想としては気仙沼ニッティングのように一つの地場の産業、ブランドとなりより多くの人の仕事として南三陸町に根付いていくことでしたが、それが叶わなかったのはひとえにLADEの力不足としか言えません。応援をしていただいてきた皆さんに終了をお伝えすることに深くおわび申し上げます。
あまり積雪のない海の町の人に雪山の中で長時間、そして何年もかぶるクオリティの必要性を理解してもらい丹念な製品を作り上げてもらう上でそのすべてを伝えいい物作りをするにはコミュニケーションが圧倒的に足りませんでした。ある程度のところからは思った通りにFishermanのクオリティが向上せず販売数も伸び悩んだことはやはり、滑るのが好きだからとかこのビーニー作りに対する情熱なのだと思います。
LADE Beanie自体は好調である中でFishermanの販売が年々縮小していってしまったことは非常に残念ではありますが自然な流れとタイミングとして納得しているところで、中途半端な継続よりもこのような形でお知らせをさせて頂き一つ終了をさせていただくことにいたしました。約5年間応援ご支援、本当にありがとうございました。そして力不足、本当に申し訳有りません。
高台移転したご自宅に引越しをされた今も編み物の仕事と縫製の仕事を続けていきたいといっていただいている方もいらっしゃいます。Fishermanブランドとしては終了ですがその方達には今後も変わりなくLADEビーニーの作り手さんとしてより良いビーニーをハンドメイドするクルーに加わっていただいて製作をして頂きます。歌津とLADEの関係もが終了するわけではありませんのでそこは一つご安心ください。
最後にですがあくまで仮設住宅の暮らしを終えられたのも、漁の仕事に戻られたのもFishermanに関わってもらった一握りの方に限ってのことです。津波や原発事故で被災した方や地域が6年経った今も大きな変わりはなく今後もみんなが興味を持って優しい気持ちで自分の事のように見続け関わり合い続け、時には手を差し伸べたり一緒に怒ったり代弁したりしていきましょう。
今後も南三陸町歌津の方達から教えてもらったことや学ばせてもらったこと、感動させてもらったことを役に立ててLADEビーニーの製作に励んでいきます。
LADE clothing
代表 会田 喜文